幻想列車区

海の恵みは電車に乗って

福井県小浜市──。
若狭地方の中心都市であるこの街は「鯖街道」の起点としても広く知られている。
日本海をのぞみ、豊かな自然に恵まれた若狭地方は、古代から「御食国(みけつくに)」呼ばれ、塩や海産物を朝廷に献上してきた海産物の宝庫だ。
時代が移り変わり、都が奈良から京都に移ってからも、若狭で水揚げされるカレイやグジなどの魚は「若狭もの」として重用された。
それらの魚のなかでも都に住まう庶民にも知られ、もっとも代表的だったのが鯖だったということもあり、人々はいつからか若狭の行商人が魚を担ぎ往来する街道のことを「鯖街道」と呼ぶようになった。
鮮度が落ちやすく痛みやすい鯖は、水揚げされるとすぐに塩でしめられる。それを担いだ行商人は、一昼夜かけて京都へ向かってひたすら歩き続ける。
そうして都に着くころ、ちょうどいい塩梅になった鯖は、寿司や懐石料理に姿を変え、都の華やかな食文化を彩ってきた。

しかし、その華やかさとは裏腹に、鯖街道の道中は辛く険しいものだった。
小浜から京都まで距離にして約70キロ。道中には、幾度もの峠越えが待ち構えている。追いはぎや辻斬りにあう危険とも隣り合わせの道中は、真冬になれば厳しい寒さと雪にも耐えなければならず、命を落とす者も少なくなかったという。

「京は遠(とお)ても十八里」

都までの近くとも、厳しい道のりを嘆いた言葉だったのか。
都は遠くとも、歩けば必ずたどり着くと、自らを励まして進む言葉だったのか。

いずれにせよ小浜の人々は、この言葉を合言葉のようにして、この鯖街道を往来してきた。
その往来は時代が移り変わった現代になっても、変わらず続いている。

東の空がオレンジ色に眩しい早朝、阪福電車の小浜駅では近江舞子ゆき普通電車が発車を待っている。
早朝とあって長い電車に乗客は片手で数えるほど。そんな車内の座席を向かい合わせにして大きな荷物に囲まれた女性が一人。電車を使って行商をする最後の一人であり、一番の新人でもある藤田文子さん。
先頭車両の一番後ろ、車両と車両の連結面に近い座席が彼女の指定席だ。

「小さいころから手伝ってた親の仕事を継ぐわけでしょう。そんなん、いつから何年やってるなんて分からんわ」
この仕事をはじめてどれくらいになりますか?という我々の質問に屈託のない笑顔と言葉が返ってくる。

やがて午前5時43分に。電車は時刻通りに発車した。
遠敷・日笠と停まった電車は、小浜の街から離れ、小浜と今津の距離から名づけられた「九里半街道」に沿って進んでいく。途中、近江今津までのこの区間には水坂峠という山越えが待ち受けるが、急勾配にも強い阪福電車はモーターを唸らせながら軽やかに登っていく。

「昔はこうして電車で行商する人も多かったですよ。でも、いつからやろうね。少しずつ減ってしまって……。みんなクルマを持つようになったでしょう。周山街道を軽トラックで運ぶようになって。ウチもそうやったんやけどね」

藤田さんが語るように、かつてこの区間を行き交う電車は、京都で魚を売り歩く行商人で大いに賑わったという。その日の朝に水揚げされたばかりの海の幸がブリキ製の箱一杯に詰め込まれ、車内に積み上げられた。荷物と人で満杯になった車内は、まるで魚市場をそのまま電車に持ち込んだような熱気と空気に包まれていたという。

戦後の復興期から昭和30年代あたりがその賑わいのピークだった鉄道を利用した行商であるが、高度成長期に突入し、都心側で沿線の都市化が進むと電車の混雑も激化。一般の利用者と行商人の間で軋轢が生まれるようになってしまう。時を同じくして、自動車が普及したこともあって、電車を利用した行商そのものが徐々に下火になっていく。
さらに時代が進むと、行商人の高齢化や、卸売りによる流通経路の確立といった複数の理由もあって、電車を利用する行商人は激減。いつしかその姿も見られなくなってしまった。

列車は、午前6時20分に近江今津に到着。かつてはここから琵琶湖を船で大津に向かう運搬ルートもあったというが、我々はこのまま風光明媚な琵琶湖畔を近江舞子目指して南下していく。
午前6時45分近江舞子に到着。発泡スチロールの箱やカゴを手早く台車に載せて電車を降りると、そのまま向かいのホームに停まっている大阪梅田ゆき快速急行に乗り換える。

この快速急行は近江舞子始発の長い10両編成。この先、主要駅に停車しながら大津・京都といった沿線の大都市に向かう通勤通学客を乗せ、終点の大阪梅田には午前8時32分と朝のラッシュアワーど真ん中に到着する。
いまはガラガラの車内だが、1時間も経てばその車内は様変わりしていることだろう。

「5年前ですね。お父さんがガンで亡くなって、息子と二人で店をやらなアカン。京都にもお得意さんがいはるから、最初はお父さんの代わりにトラックで私が配達しようと思ってたんです。そしたら息子が『危ないからやめろ』って。京都への配達はお父さんの仕事やったから。でもお得意さんは無下にもできひんでしょう?だって私たち商売人からしたら、わざわざ待ってでも買ってくれはる大切なお客さんなんやから」
毎日、長距離の運転をしなければならず、冬は凍てつく雪道を走ることになる。高齢の藤田さんを気遣って息子さんは反対するも、自分の手で京都まで魚を届けたい藤田さん。結果として二人は大ゲンカに。そんな二人が見出した解決策が「電車での行商」だったのだ。
一度は途絶えた小浜と京都を往来する電車を使った行商人は、かくして思わぬかたちで復活を遂げることになった。

大阪梅田ゆきの快速急行は、堅田・雄琴温泉・三井寺下・阪福大津と停まりながら、通勤通学客を乗せていく。京都烏丸に着くのは午前7時43分と少し早い時間だが、滋賀県内から大阪市内を目指す通勤客も少なくなく、車内は早くも混雑してきた。
山科からさらに乗客を乗せてラッシュアワーの通勤電車らしくなってきた車内。午前7時42分に五条大橋に到着した。人波をかき分けて台車と商品の入った箱をホームへと降ろしていく。同じ電車を使う乗客も藤田さんを見知ったもので、荷物を降ろすのを手伝ってくれる人もいるそうだ。

「そりゃあ大変ですよ。でも『この塩梅じゃないと店の味が出ない』とまで言ってくれる割烹のお客さんもいはる。私も歳やし、大きな荷物も乗せられへん。それでも出来るだけのことはやりたいんです」
そう言って、馴染みのお客さんのもとへ向かう藤田さんを我々は改札口で見送った。

「京は遠(とお)ても十八里」

古から続く人々の往来と営みは、その姿を変えながらも、いまも確かに息づいていた──。

<2019.9.14京都新報『鯖街道のいまを歩く(4)〜海の恵みは電車に乗って〜』より>

(臨)白髭浜〜高島町

※このコンテンツは快速de急行による二次創作であり、結城浩伸氏の「阪福電気鉄道」との関連はありません。

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